続、桜満開 | 中目黒 のスピリチュアルカウンセリング

Columunコラム

続、桜満開

皆様こんにちは、今日は微妙なお天気ですね|●´∀`)ノ))

雨が降ったり止んだりです…

 

 昨日に引き続き目黒川の桜ですが、夜もまた素敵ですよ!

 

 

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ふとこんな一節が思い出されました

 

 

色はにほへど 散りぬるを我が世たれぞ 常ならむ有為の奥山  今日越えて浅き夢見じ  酔ひもせず (中学教科書)

 

文中の「有為」は仏教用語で、因縁によって起きる一切の事物。転じて有為の奥山とは、無常の現世を、どこまでも続く深山に喩えたものである。

中世から現代にいたるまで各種の解釈がなされてきたが、多くは「匂いたつような色の花も散ってしまう。この世で誰が不変でいられよう。いま現世を超越し、はかない夢をみたり、酔いにふけったりすまい」などと、仏教的な無常を歌った歌と解釈してきた。12世紀の僧侶で新義真言宗の祖である覚鑁は『密厳諸秘釈』(みつごんしょひしゃく)の中でいろは歌の注釈を記し、いろは歌は『涅槃経』の中の無常偈(むじょうげ)「諸行無常、是生滅法、生滅滅已、寂滅為楽」(諸行は無常であってこれは生滅の法である。この生と滅とを超えたところに、真の大楽がある)の意訳であると説明した。

しかし語句の具体的な意味については諸説ある。前述の『悉曇輪略図抄』においては「いろは」は「色は」ではなく「色葉」であり、春の桜と秋の紅葉を指すとし、また「あさきゆめみし」の「し」は「じ」と濁音に読み、すなわち「夢見じ」という打消しの意であるとする。一方『密厳諸秘釈』はこの「し」を清音に読み、助動詞「き」の連体形「し」としている。17世紀の僧観応の『補忘記』(ぶもうき)では最後の「ず」以外すべて清音とするなど、この歌は古文献においても清濁の表記が確定していない。「夢」や「酔」が何を意味するかも多様な解釈があり、結局のところ文脈についての確定した説明は、現時点では存在しない。

 

~ウィキペディア参照~

 

儚い世のつれづれを詠われた詩です

それは昔も今も同じ、限りがある時を生きる人間だからこそ思う事です

 

寒い冬を越したからこそ咲く花があり

散りゆく運命にあったとしてもその瞬間に一生懸命花を咲かす

そして福々たる実りを成すのです

 

ソメイヨシノは残念ながら観賞用ですから美味しい実は成しませんが

初夏には美味しい実を成す桜の花もあります(お花は地味ですが可愛いですよ)

 

艶やかな桃色の天井になって人々を幸福にするのか

美味しい実を成して人々を幸福するかは人それぞれ個性でもあり

才能でもあり与えられた使命でもあります

あなたはどんな人生の花を咲かせますか?

 

私は花より団子派ですが

小さな花を咲かせ、美味しい実となり、皆様に喜んで頂ける様になりたいです。

 

いわゆる欲張りですね(笑)